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足跡に、吹雪を

此処には何も残らない

表面張力

たぶん、子供の頃にみんなが経験することだと思うのだけど、牛乳でも麦茶でもたくさん飲みたくてコップ一杯まで、溢れるまで注ごうとするとコップの縁を少しだけ超えて、そのヘンテコな目の前に起きている現象になんだかワクワクして親に報告すると、それは表面張力っていうだよと教えてくれる。

一体どこまで注げるのか、一滴一滴注いで、気づけば溢れている。




ぼくはとても文化人なんか程遠いほどのど阿呆で全て親のせいにして仕舞えばいいのだけの、これもまたど阿呆で、どんなにど阿呆な親だとしても心の1番深いところでは、嫌いになれなかったりする。


たしか大学三年生の時だったと思う。印刷業の短期アルバイトでたまたま少し年上のお兄さんと仲良くなった。その先輩は料理人を目指して都心に出たものの、あくまでも自分の周りでちょこちょこ聞く話なのだけど、面接時の条件と実際が全く違って、そこに挫折して郊外の実家で親の稼業を手伝っていた。そこのお客さんの繋がりで、面接なしで時間のある時にアルバイトをしてにきていた。

先輩が近々飲もうと言うので、そーですね。とテキトウに返事をしてみたら、ぼくは飲み会というものが嫌いである、具体的に予定を決めることになって、こういうのはパンパン決めたほうがいいんだよと先輩はいった。サークルにも入っていなかったので、先輩に飲みに連れてってもらえるのは満更でもなく嬉しい感じもあったのだけど、やっぱり面倒くさくて、当日は先輩の電話で目を覚まして、勉強しててメールに気付きませんでした。とテキトウに言い訳して、たしか最初は立ち飲み屋だったと思う。二件目はお座敷のある大衆居酒屋で、そこで二人してそこそこ酔っ払った。

記憶にも残らない下らない話をし合って、基本的には聞いてるだけなのだけど、やはり女の話が多かったような気がする。閉店近くまで飲んで、駅前のショッピングモールの開けたところで二人一緒に仲良く立ちションなんかをして、たしかそこから歩いている時だったかな。あまり覚えてない。先輩の心が表面張力になっていた。そして、最後の一滴が終わると、終わりの一滴が注がれ、コップから溢れる。


お前は人がいいからな。


先輩は確かにそういった。ぼくは人がいいから、人から騙されるのを心配していってくれたようだ。書いていて思い出したが、他の先輩に騙された話をした後だったと思います。


そして、数年後の今、つい先日。さいきん知ったバーのマスターと閉店後の二件目、ソウルバーで日本が好きではないこと、そして、海外に行きたいことを話した。すると、君は海外に行ったほうがいいかもね。と言った。表面張力だ。今はその意味が、よくわかっていないのだけど、僕はいつも表面張力から溢れる言葉から何かをもらう。気付きだったり、根気だったり。



この表面張力から溢れる言葉には、なかなか出会えない。なぜなら、昔からの知り合いでさえ、表面張力どころかコップに注ぎさえしないのだ。空のコップでは乾杯できない。だから、溢れ出した言葉は小さくても、その日の会話の1%にも満たないフレーズでも、その日の1番の記憶になる。


同世代とは仲良くなれないから(ナゼかライバル視されているか、軽蔑の目を向けられるかしかない)、たいていひとりでいるときに、ひとりの年上の、表面張力に出会うことが多い。この溢れ出した言葉は、いつも苦いんだ。汗や涙や、そんなものが凝縮されているような、まるで彼らの心中に反響している叫びが漏れ出したかのような、そんな言葉をぼくは糧にしているのかもしれない。


※眠い