足跡に、吹雪を

此処には何も残らない

Dear you

 

あれは確か中学生のときだったと思う。日本の中学生の日常と言ったら、海外の中学生のようにホームパーティーでお酒を飲んでマリファナなんかのドラッグを楽しんでその日気に入った人とセックスをしたり、暴れて喧嘩したりするようなことは滅多にない(僕の周りでは無かった)。

部活のない日に友達と映画を観に言って近所のラーメン屋に行き、友達の家でこっそりお酒を飲んだり、恋人とデートしたり。僕の周りではそんなものだったと思う。(地元ではちょうど暴走族が終わりを迎える頃だった。)

 

その日は、元親友とラーメンを食べていた。元親友とは同じ小学校・中学生に通って中学校から仲良くなった。違う高校に通ってからはほとんど疎遠になり、高卒で働き始めた彼に久しぶりにあったぼくが大学二年生ぐらいの時には、彼の顔は社会に潰されていた。

 

話を戻すと、僕たちの間では醤油とんこつラーメンが一番美味しいということになっていて、近所に2つ行きつけのラーメン屋があった。1つはぼくが今でも一番好きなラーメン屋で、ネギチャーシューラーメンが絶品だった。おやじさんが病気になり、ぼくが高校3年生の時になくなってしまったが、今でもあの味に勝るラーメンには出会ったことがない。

そしてもう1つのラーメン屋は、畳で言えば八畳ぐらいの狭い店で細長い間取りをしていた。ここも今はサーフショップのようになっていて、ラーメン屋に限らず僕が気に入るものはよく無くなってしまう気がする。この2つ目の細長いラーメン屋で元親友はいつも海苔をトッピングしていた。彼のどんぶりはエリマキトカゲのように海苔に囲まれていて、そんな変なトッピングをする彼が好きだった。

若い食欲を満たしてラーメン屋を出た後に、彼の弟に出会った。この時に、弟と何を話したか覚えていないのだが(他愛のない挨拶程度だったと思う)、彼は突然、僕の事を「かっこいい」と言った。

 

僕は一瞬恥ずかしかったが、素直に「ありがとう」と言ったと思う。普段なら馬鹿にしていると思うぐらいに捻くれていた僕がそう答えたのには、たぶん理由があったように思う。

 

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元親友が下を向きながら、僕を探るように話しかけてきた。

「弟がいじめられているんだ。部活で他の友達達と馬が合わないみたいで。学校に行かない日もあるんだ。」

僕は少し驚いたと同時に、ある種当然のことのようにその話を聞いていた。

「あいつやっぱり気にしてるから、この話は誰にもしないでもらえる?」

「うん、絶対しないよ。」

 

彼の弟は全日制の高校ではなく、定時制の高校へ進学した。

 

元親友はゲーマーで銃が好きだった。だから彼と遊ぶときは、彼の家で銃のゲームをして遊んだ。そうやって彼の家へ遊びに行くと、決まって彼の弟は顔を出してきて挨拶をしてきた。そんな彼を僕は後輩として可愛く思っていたし、なんとなく気にかけていたので、元親友からイジメの話を聞いたときは複雑な気持ちもあった。

 

素直で心の優しい弟。

 

善意の欠片もない世界で、彼がそういう状態に落ちてしまうということは経験からわかっていたのかもしれない。

 

そして、そういう彼に「かっこいい」と言われたからこそ、素直に返答が出来たのだと思う。

 

既にあの頃から、つげ義春の井上井月の生き様に対する考察のように、生きているけど生きていない、そこにいるけどそこにはいない、というような気持ちで、僕は生きていた。今も続いているが、ひどく厭世的であった。

 

 だから、彼のその、今言っておかなければならないというような強引なタイミングでの一言に時々、救われるのだ。

 

元親友とは今でも会える距離に住んでいるが、恐らくお互いにとって全てが毒で、しかしだからこそ、日本を絶つ前に、一度お互いの毒で殺しあってもいいのかもしれないと思う。彼も自由な魂に、反応していた一人なのだから。

そして彼の弟にも会って、話したい。

 

あんなに世間知らずで、なんだか偉そうで、目立った特技があるわけでもなく、女にモテるわけでも、金を持ってるわけでも、頭がいいわけでもない僕のことを「かっこいい」と言った君も、僕は、

 

「かっこいい」と思ったんだよ。

 

人は変わってしまう。人は変わる。

だからこそ、無理をして会ってみることもないのかもしれない。いずれ、跡形もなく全ては消え去る。世界は広すぎる。世界は狭すぎる。厳しい。辛い。どうしてだ。間違っている。馬鹿野郎。

 

でも、ふと、僕は絶対大丈夫だ。なんて思ってしまう事がある。

 

それは、君のような、海辺の砂のように、美しいもののおかげだと僕は思う。

生きること とは

小学校から帰ってきた少年は、公園で友達と遊ぶ。明日の心配などなく、服を泥んこにして駆けずり回る。鐘が鳴って帰宅し、夕飯を食べて風呂に入り、という1日の終わりの流れに息がつまる思いを感じながら、少年は床につく。

 

僕の人生において、平凡な日常はそう長くは続かないようです。

 

弟と姉と僕が見つめる母は、涙ぐんでいた。

 

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親の友達なぞには面と向かって会ったことがなく、学校を除けば実に閉鎖的な環境であったかもしれない。

 

母が昔の同級生の話をする。僕は何故か苛立つ。

 

最近携帯電話を変えた母の昔の携帯が、せんべい布団の横に置いてある。母はパートで家にはいない。

 

少年は母の携帯に、その同級生の名前を見る。

 

そして、自分が涙ぐんでいることに気づく。

 

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青年が浪人時代に亡くなった祖父が、新しいアパートを建てるということで、なにやら書類を見つめている。

 

少年は、その書類に書かれている数百万、数千万という金額を目にして、

 

これは何のお金?

 

と尋ねた。

祖父は、これはゆっくり節約して返していくお金だ。と言った。そんな額を何故返さなくてはいけないのか、どれぐらいの期間で返すのか、少年の頭は苦手な数字で混乱していたが、どうやら祖父の表情や話し方を聞く限りではケリの付いている話らしい。

 

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ここの山は、ここからここまでがウチの土地。ここは駐車場にするんだよ。この借家は壊してアパートを建てるのよ。祖母は言った。

 

周りの家と比べて、うちは少しばかり大きい。物置も人が住めるぐらいの大きさで、庭も子育てには丁度いいぐらいはある。車も3台以上ある。

 

四月から五月には、たけのこを掘るのです。

 

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男に母は言った。

 

お父さんが〇〇のおじさんに1000万円借りた。それでも足りないぐらいの借金がある。

 

祖父の計算は、父によって狂わされたようだ。

 

男に母は言った。

 

億単位だって。

 

男は考える。

 

男は眠りにつく。

 

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勃然と焦燥

命は、一人に1つのはずだろう?

 

障子でぼんやりとした光で目を覚まし、たまに干すぐらいの布団と畳の匂いに気づき、深呼吸をする。

 

そんな朝のひと時は、もう何年も…

 

いや、一度もないかもしれない。

 

僕の命は、

 

学校に行かされ、塾に行かされ、大学に行かされ、

 

されるばかりの命かい?

 

たった1つなのに。

 

就活を拒み、誰がいったか底辺とよく言われるバイトをして、小銭を稼ぐ。

 

日本から逃げたい、その命は、

 

いつ途絶えるかも、分からない。

 

不安定で、ペットボトルから垂れる最後の一滴をコントロールするように、

 

僕の命に、収まりどころはあるのだろうか。

 

たった1つの、この命。

 

チクショウ、チクショウ、この命。

 

されるがままの、この命。

 

海辺に行けば、猫にそうするように、漁師は魚をくれるのだろうか。

 

街角でダンボールに入っていれば、猫にそうするように、命の救世主は現れるのだろうか。

 

誰も僕をしらず、

 

僕もそれを望まなかったはずなのに、

 

たった1つの僕の命は、

 

しきりに、

 

忘れた頃に、

 

焦燥している。

悪魔の行く末

僕は天使を一度も、

 

見たことも、感じたこともない。

 

天使の反対側、裏側、はたまた根を通して繋がっているのは、あくまで対義語的な位置として、悪魔であろうと思う。

 

神はどうやら独裁者、唯一の存在らしい。が、これもまた反対に悪魔がいると言うこともできるようです。

 

でも僕は、

 

悪魔を知っています。

 

見たことも、感じたこともあります。

 

悪魔は、知っています。

 

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悪魔が訪れた。

それは朝のように、寝ていれば来るものだ。だれも逃れることは出来ず、だれもが心に思い出せば哭きたくなるほどの傷を、心に刻まれる。

あぁ、逃げ出したい。龍ならば雲に登ってしまうのだろう。逃げることができなければ、消えてしまおう。いや、何も自分が消えることはない。ヤツを、悪魔を!ブチ消しちまおう!

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悪魔は天使のような笑顔をしている。

それは、普通に生きるだけで息の詰まるこの世に誰に頼まれたわけでもなく産まれてくる赤ん坊のような笑顔だ。

その笑顔だけを一生みせておくれ。その笑顔だけが、僕の世界の規律なんだ。秩序なんだ。価値なんだ。

そう安穏と日々に流れて過ごすしていると、悪魔の天使のような笑顔は、悪魔の悪魔による悪魔のための笑顔と化しているのだ。

暗澹とした心そのものが、目やら鼻やら耳やら口やらの、あらゆる穴から、もあんもあんと、流れ出す。

まだ間に合う!目を!鼻を!耳を!口を塞げ!!

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悪魔が呼んでいる。いや、読んでいる。

 

僕の心を、読んでいる。

 

目に一丁字もない悪魔なんかに、

 

僕の心が、俺の気持ちが、

 

動かされるものか!動かせるわけがない!

 

私の魂は、全てを突きかえす!

 

ぐだぐだ述べるでない!

 

全てだ!十把一からげにして全てを突きかえす!

 

悪魔なぞ、敵ではない!

 

かかれ!

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悪魔は孤独だ。

 

日本では一般的に、アガサクリスティーよりもアガサ博士が有名だろう。

 

Then there were none.

 

というアガサクリスティーの言葉がある。そして、誰もいなくなった。というのである。

 

悪魔はきっと、最後の最後まで生きるであろう。

 

独り、孤独と戦いながら、我思うゆえに我ありと、自分の存在すら疑って、僕たちは生きている。

 

孤独と孤独を擦り合わせても、ただ磨り減って、いつの日か無くなってしまうのだ。

 

いやそれとも、

 

擦り合わせていくうちに、1つになるのか。

 

いや、

 

どちらかが片方に飲み込まれるのか。

 

まてまて、

 

無数の孤独が擦りあわされたどうなってしまう。

 

はは、そんな不安は必要ないさ。

 

そんな安いもんじゃあないぜえ。

 

孤独は、独りで美味しく頂くとしよう。

 

さぁ、悪魔くん

 

ところで君は、本当に悪魔なのかい?

 

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モンスターは自分の中にいるのさ。 

 

と言った先輩との出会いは、たしか三軒茶屋の狭いライヴの出来るバーで、秋に入る頃であっただろうか。

 

そりゃあ、いるだろうよ。と、その話を聞いたのは渋谷の大きなクラブだった。

 

倒すのが良いかい?飼いならすのが良いかい?

 

それとも、乗っ取られちまうかい?

 

どうやら先輩の話によると、東京がイヤだ・仕事が疲れるなどの原因は自分の中にあって、その事をモンスターと言っているらしい。それに負けるなということのようである。

 

いや、しかし。だが、しかし。

 

たしかに、目的を達成する前の素っ頓狂な挫折によって、抱いた夢を放り出すというのは聴こえが悪いかもしれない。

 

だが、その素っ頓狂な挫折によって、他の道が少しでも開かれているのなら、そっちに進むのも悪くないのではないだろうかと思う。

 

抱いた夢を1つの思い出として、また新たに夢を持ってもいいだろう。

 

東京がなんかイヤだから、この仕事がなんかイヤだから、あいつがなんかイヤだから。

 

違う場所に行ったって、ニートになってみたって、連絡をとらない事にしたって、何が悪い?

 

哲学の世界で言えば、ニーチェが運命愛といっている。運命を愛して受け入れろ、ということだ。

 

俺の運命はイヤな事を乗り越えた先にあるのか?

 

なんと怪しい事だろう。ネズミ講か?カルト教か?

 

僕たちの幸せや夢は、先輩がいったモンスターに負けては掴めず、ニーチェが言ったように、こんな腐った僕の運命を愛さなけば振り向きもしないのかい?

 

言葉を覚えたペットショップの鳥が話しているように話す薬物中毒者にも、モンスターや運命などというものがあるのかい?

 

なら彼は、モンスターを倒し、運命を愛しているかい?

 

僕と彼には、運命の繋がりなど鐚一文もないのさ。

 

モンスターも運命も、俺には必要ないんです。

 

あぁ、神よ。

 

この世の全てのモンスターと運命を、どうぞ彼へ差し上げたらどうでしょう?

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衝撃の行方

こびりついた何かが

身体中を駆けずり回る


ごりごり  と


静かな雨上がりの夜に

信号が青で道を照らす

この先には何もないだろう

冷たい空気を吸い込んで

魂を少し 押し込んだ


静かな雨上がりの夜に

雲間から月が道を照らす

この先には何があるだろう

淀んだ空気を切り裂いて

魂を少し 手放した


静かな雨上がりの夜に

あちこち光が射している

陰を隠して 何を照らす

魂を少し 閉じ込めた


この世はいくらか

明るくなったのか


この世はいくらか

明るくなったのか


こびりついた何かが

暗黒を


どす  どす  と


取り込んだ


この世はいくらか


明るくなったのか


気づけばいつもボロボロで、取り返しのつかない過去に絶望しては、どうにもならない未来に目を細めている


僕は生きている


君も生きているだろ?


なぁ、眩しくないかい?


さぁ、暗いかもしれない





配達中に足首を豪快に捻った。深夜、他人の家の庭で震えながら倒れていた僕は、どうしようもなかった。まだ仕事は半分残っている。雨の日に荷崩れして投げ出したくなって、目の前のバイクと新聞をを冷たい雨に打たれながら眺める心の静けさを、その日、数ヶ月ぶりに思い出した。


おそらく日中でも、見て見ぬフリをする人がほとんどで、故障した機械が厄介扱いされるような視線を浴びるだけ。深夜でよかった。そうは思うと同時に、モロッコの知り合いが頭を過る。


言語学習アプリで知り合った彼女は若くて、とても聡明で、イスラム教の突っ込んだ話も僕の拙い英語を汲み取りながら色々と教えてくれた。そんな彼女とはすでに半年弱ほど連絡が続いていて、かまってちゃんな僕の駆け引きにも、なんだかんだいつも返信をくれる。僕の中では、友達以上の存在になりつつあって、嫌なことや、足をくじいた、痔になった、なんて話までしている。


だから、このまえ足をくじいた事も彼女に伝えた。そうしたら、よく足を挫くなら、もっと注意して仕事しなきゃ。って言ってくれた。若くても長女だからしっかりしている。とても嬉しかった。親に心配されるとうざったいのに、彼女の心配はとても嬉しい。


仕事から家に帰ってご飯を食べていると伝えると、おかえり、とローマ字で送ってくれる。それだけで何だか救われた気になるのは、なんだか軽率な気がして自分を疑ってしまうけど、すごい幸せな事だと感じる。


だから僕は、ただいま、とローマ字で返す。


足をくじいても、手を差し伸べてくれる人がいる。


この道の先に何があるかなど考えない。


ただ破滅へ向かっているのかもしれない。


でも、独りで歩を進めるたびに、独りの人に救われてきた。


明日も眠気まなこに昼の日差し。


ボロボロに透けた影の隙間から。

表面張力

たぶん、子供の頃にみんなが経験することだと思うのだけど、牛乳でも麦茶でもたくさん飲みたくてコップ一杯まで、溢れるまで注ごうとするとコップの縁を少しだけ超えて、そのヘンテコな目の前に起きている現象になんだかワクワクして親に報告すると、それは表面張力っていうだよと教えてくれる。

一体どこまで注げるのか、一滴一滴注いで、気づけば溢れている。




ぼくはとても文化人なんか程遠いほどのど阿呆で全て親のせいにして仕舞えばいいのだけの、これもまたど阿呆で、どんなにど阿呆な親だとしても心の1番深いところでは、嫌いになれなかったりする。


たしか大学三年生の時だったと思う。印刷業の短期アルバイトでたまたま少し年上のお兄さんと仲良くなった。その先輩は料理人を目指して都心に出たものの、あくまでも自分の周りでちょこちょこ聞く話なのだけど、面接時の条件と実際が全く違って、そこに挫折して郊外の実家で親の稼業を手伝っていた。そこのお客さんの繋がりで、面接なしで時間のある時にアルバイトをしてにきていた。

先輩が近々飲もうと言うので、そーですね。とテキトウに返事をしてみたら、ぼくは飲み会というものが嫌いである、具体的に予定を決めることになって、こういうのはパンパン決めたほうがいいんだよと先輩はいった。サークルにも入っていなかったので、先輩に飲みに連れてってもらえるのは満更でもなく嬉しい感じもあったのだけど、やっぱり面倒くさくて、当日は先輩の電話で目を覚まして、勉強しててメールに気付きませんでした。とテキトウに言い訳して、たしか最初は立ち飲み屋だったと思う。二件目はお座敷のある大衆居酒屋で、そこで二人してそこそこ酔っ払った。

記憶にも残らない下らない話をし合って、基本的には聞いてるだけなのだけど、やはり女の話が多かったような気がする。閉店近くまで飲んで、駅前のショッピングモールの開けたところで二人一緒に仲良く立ちションなんかをして、たしかそこから歩いている時だったかな。あまり覚えてない。先輩の心が表面張力になっていた。そして、最後の一滴が終わると、終わりの一滴が注がれ、コップから溢れる。


お前は人がいいからな。


先輩は確かにそういった。ぼくは人がいいから、人から騙されるのを心配していってくれたようだ。書いていて思い出したが、他の先輩に騙された話をした後だったと思います。


そして、数年後の今、つい先日。さいきん知ったバーのマスターと閉店後の二件目、ソウルバーで日本が好きではないこと、そして、海外に行きたいことを話した。すると、君は海外に行ったほうがいいかもね。と言った。表面張力だ。今はその意味が、よくわかっていないのだけど、僕はいつも表面張力から溢れる言葉から何かをもらう。気付きだったり、根気だったり。



この表面張力から溢れる言葉には、なかなか出会えない。なぜなら、昔からの知り合いでさえ、表面張力どころかコップに注ぎさえしないのだ。空のコップでは乾杯できない。だから、溢れ出した言葉は小さくても、その日の会話の1%にも満たないフレーズでも、その日の1番の記憶になる。


同世代とは仲良くなれないから(ナゼかライバル視されているか、軽蔑の目を向けられるかしかない)、たいていひとりでいるときに、ひとりの年上の、表面張力に出会うことが多い。この溢れ出した言葉は、いつも苦いんだ。汗や涙や、そんなものが凝縮されているような、まるで彼らの心中に反響している叫びが漏れ出したかのような、そんな言葉をぼくは糧にしているのかもしれない。


※眠い